多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊
です。
私が住んでいるのは武蔵村山市だが、家の近くに桑畑がある。
わずか200坪位の広さだが、桑の木はキチンと手入れがされていて、何時収穫するのかとずっと気になっている。この時代にこの辺りで、養蚕農家は無いと思うのだが、地主さんと中々会えず確認できない。
私は信州佐久の生まれだが、小さい頃は米作りりと、養蚕で生計を立てている農家が多かった。
「養蚕は汚い仕事だ」と思いながらも、嫌々手伝いをさせられていた。
お蚕さんは蛾の幼虫である。孵化してから4回脱皮を繰り返し、最後は7、8センチ程の成虫となり、糸(生糸)を吐きながら繭を作って中にもぐる。
これまでに1ヶ月弱を要するのだが、この
「飼う」と言う世話が大変なのである。
孵化したばかりの数ミリの虫には、桑の葉を1枚ずつ摘んできて、細かく切って与える。次は葉のままで与える。最後は1メートル強の枝で、バサバサとおいて与える。
完食したらその上に又枝を載せるので、段々盛り上がって床状態になってゆく。虫だから当然オシッコもするしウンチもする。
大きくなったら、座敷、茶の間の畳を上げて、そこに放すのである。狭い母屋でのこと、夜る寝てる私の頭の直ぐ上は、数万の虫でいっぱいなのだ。
汚さのクライマックスはこれから。
繭を作る間際の成虫は、体色が白から黄色見ががってくる。この状態を「ひきた」というのだが、放置すると積まれた枝の間で糸を吐き、金にならない繭となってしまう。
そこで子供達も動員され、一匹づつ手で拾って、繭が作られやすい棚に移す。
その際に、手にオシッコはされるし、病気や枝で潰された成虫が、体液を流しながら結構死んでいる。床の下部には湿ったウンチがいっぱいで、当然匂いもある。
こんな事が一年に4、5回繰り返えされる。
お蚕さんを全部捕まえたら、枝の山を片付けて
焚き木に使い(数本は私の釣り竿に)、ウンチは晴れた日にムシロの上で干して売る。
蚕糞を買う人がいるのだ。餌が桑なので葉緑素がいっぱいで、女性の化粧品用に使われると聞いたことがある。
こんな汚い仕事でも、生計を支えてくれるので、「お」を付けて「お蚕さん」と呼び大事にする。
メンデルの遺伝の法則はエンドウ豆によって証明されたが、動物にも適用されることが、最初に証明されたのは、お蚕さんによってである。
現在は遺伝子の組換えにも利用されていて、
やはり「お」を付ける価値がありそうだ。
私は高校時代農業が専攻であった。「養蚕」の科目があり、学校に泊まりこんで、実際にお蚕さんの世話をする。
私は幼少の頃から慣れてて平気だが、お町生まれで農業科に入った同級生は大変である。数万匹の虫の前で、冷や汗を流しながら震えている。
流石の鬼教官も可哀想に思ったのか、彼の養蚕当番を免除した。
私の母は「子供達には絶対、農業をさせたくない」。と常々言っていた。
その意味で私は親孝行である。