多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
「優秀な数学者は、自然豊かな場所で育つ」と、何かで読んだ。
一見無関係なこの二つ、どう繋がるのだろうか?。
恐れ多いので、「私の散歩道」と繋げる気はないが、最近ちょっと分かる気がする。
私はウオーキングやジョギングは元々大嫌いであった。
「歩く」は、単に場所を移動するための手段で、楽しい訳がない。小さい頃は畑までの、往復8キロの山道を歩かされていた。
ところが2年前に大腿骨を骨折し、リハビリのために、朝夕の散歩を仕方なく始めた。
朝は5時頃家を出て、ラジオのニュース番組を聴きながらコンビニ店に行き、100円のホットコーヒーを買い、近くのモールのベンチに約2時間ほど滞在する。
途中は他人の庭の花を鑑賞し、或いは、見知らぬ農家の作物の成長を確認しつつ、目的地に向かう。
農家のおじさんに頂いた、茄子をじっと見つめながら、母が逝った年の夏、庭先の茄子とピーマンで生き抜いたことを、懐かしく想い起こした。
天から二物を与えられた物(者)は多いが、オクラもその一つで、花がとても美しい。
「野菜の中で、一番美しい花を咲かせる」と、散歩道脇のオクラ畑のおば様は言う。
ただ、葉が大きいのと一日花のため、切り花には向かない。
散歩とは言うもののコーヒータイムが長く、3時間以上に及ぶこともあり、家から消息確認が時々くる。
「老人が歩く道は、様々な場所に繋がる」、との懸念なんだろう。♂️
コーヒーを飲みながら、ただボーとしている訳ではなく、この原稿を書いたり、友人にメールを打ったり、法務の準備をしている。
私の性格か、社会人になるまで学習机と縁がなかったからか、机に向かって「さあ、やるぞ」が苦手だ。
歩きながら構想を練り、ベンチで整理する方が、効率的で心地よい。
もし幼少期から机を与えられていたら、私の人生は変わっていたかも知れない。関係ないか、、、。
最後は体操をして、またラジオを聴きながら家路に着く。
夕方は、今であれば陽の落ちるのを待ち、演歌を聴きながら、朝と違うコースを歩く。
演歌を聴くには、朝より夕方が良い。今は大月みやこさんにハマっていて、特に「女の港」は最高である。
「口紅が濃過ぎたかしら、着物にすれば良かったかしら、、」なんて、逆立ちしても私には出てこない表現である。星野哲郎さんには負ける。
この曲をマスターをしたいのだが、今はカラオケに通えない。
空が夕焼けから真黒に変わる頃、体操をして、今度は「舟木一夫」を聴きながら、とぼとぼと歩きだす。
気分はすっかり高校三年生なのだが、足元はおぼつかず、転ばないよう転ばないようにと、猫背を直しながら、踵から歩をすすめる。
「私の散歩道(どう)」と読んで頂けたら有難い。